4月18日
第55回史跡めぐり報告 平成27年4月18日(土)
絶好の史跡めぐり日和のもと、今回内海恒雄講師にご案内いただいたのは、逗子市である。コースはJR逗子駅を起点に、亀岡八幡宮(社殿)→延命寺(本堂と本尊の大日如来、三浦道香の墓)→昼食をはさんで六代御前墓→逗子市郷土資料館→国史跡長柄桜山古墳群である。
まず向かったのは、亀岡八幡宮。創建年代は不明。地形がなだらかな岡で、亀の背中のようであったことから、鎌倉の「鶴岡八幡宮」に対して、「亀岡八幡宮」と名付けられたという。ここは、本殿と拝殿見比べながら見られる稀有な例だそうだ。
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拝殿で一同礼拝の後、向拝に施された見事な鶴や狛犬・龍などの彫刻、あるいは海老虹梁や木鼻などの説明を受けた。また、柱の角に施された手の込んだ面取について、ここから「几帳面」という言葉が生まれたという話もあった。境内社萬栄稲荷や平和塔、庚申塔などの説明も受けた。
次に向かったのは、延命寺。
史実としての創建は不明だが、寺伝では、天平年間に行基が延命地蔵尊を安置したことが始まりという。後、弘法大師がこの地蔵を納める「厨子」を作ったことから、この地が「厨子」と呼ばれるようになり、近年「逗子」の文字が使われるようになったという。このことから、当寺は逗子の地名発祥の寺とされている。本堂で、ご本尊の金剛界大日如来を拝し、曼荼羅も拝見できた。鎌倉時代には三浦氏が当寺を祈願寺としたが、後北条氏に攻められ、三浦道香主従が、ここで自刃したと解説があった。
自由昼食後、六代御前の墓伝説地に向かった。平家最後の嫡男・平高清が、平正盛から数えて六代目にあたることから六代と呼ばれるそうだ。壇ノ浦の合戦後、頼朝の命で平氏残党探索が行われて捕えられたが、文覚の助命嘆願により許された。しかし頼朝の死後、文覚も謀反の疑いで流刑となり、のち六代は田越川で斬刑に処されたという。
次に訪ねたのは、逗子市郷土資料館。徳富蘆花が逗子を執筆活動の拠点とした明治30年頃、定宿であった「柳家旅館」跡に徳富蘆花碑が建つ。この碑から桜山の丘陵を行くと、蘆花記念公園が広がり、その一角に徳川宗家16代当主徳川家達の別荘だった建物がある。郷土資料館はここに設置された。相模湾が一望できる眺望のよい所だ。館内には、市内の遺跡出土品や民俗資料、逗子ゆかりの文学作品関連品が展示されており、学芸員の解説でつぶさに見学することができた。
郷土資料館の裏手から緩やかな山道を登ると、「長柄桜山古墳二号墳」と呼ばれる前方後円墳がある。面積は8千㎡を超える規模で、そこだけ盛り上がって見える。4世紀に造られたらしい。当地は、畿内方面から相模を通り、房総に抜ける交通要衝と考えられることから、有力首長が存在した証左と考えられるそうだ。ここから10分ほど歩くと、1号墳がある。ロープが張られているので、立ち入りはできないが、その形ははっきりとわかる。二つの古墳は、盗掘もされず、土器・埴輪などの出土品もあり、国の史跡にも指定された貴重な遺跡だ。ここで本日の行程は終了。
内海講師から本日のまとめの話をいただき、午後4時過ぎ解散となった。
第55回 史跡めぐり 平成27年4月18日(土)
(文・写真 小林敏二)