「大隈侯邸を訪ねる旅」報告記

「大隈侯邸を訪ねる旅」報告記

「旅と写真の会」では、一昨年「奈良の古寺を訪ねる旅」、昨年は「京都・葵祭を見に行こう」と企画をしてきたが、今回は佐賀の「大隈侯邸を訪ねる旅」である。

参加者は18名。527日の朝佐賀駅集合、同日夜博多で解散を基本としたが、参加者のほとんどが26日から23日の同一行動をとる旅となった。

2611時福岡空港着。福岡出身の会員白木大五郎さん(S40法卒)の出迎えを受け、ホテルに荷物を預けたのち、同氏の引率・案内で昼食の後、早速博多市内観光をした。

まず行ったのは、東山公園。ここは元寇ゆかりの地で、国内3番目に大きい日蓮像、その足元には元寇の様子を表したレリーフが張り巡らされている。「文永の役」「弘安の役」ともに執権北条時宗の時代であるから、鎌倉とは関連性も深い。園内には敵国降伏祈願をしたと伝わる亀山上皇像も建立されている。

福岡空港到着 (1).png 26日東公園日蓮像集合写真.JPG 東公園亀山上皇像前.JPG ←クリックしてください   

  福岡空港      東山公園日蓮像   同亀山上皇像

  

ここから福岡藩主黒田家墓所へ向かった。

白木さんの先祖は福岡黒田藩の筆頭家老栗山大膳の家臣とのことで、このあたりの歴史は実に詳しい。白木家は寛永年間の黒田騒動に連座し、士分剥奪。のち醸造業に転じたとのことであった。

(5年前、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」があった。また森鴎外の小説に「栗山大膳」がある)

  黒田藩主墓所鎌倉稲門会五人衆  (1).png  DSC_6597.JPG  26日黒田家墓所集合写真.JPG

   黒田家墓所    官兵衛の子長政が黒田藩祖である

次の櫛田神社は、博多祇園山笠が奉納される神社で、飾り山笠が一年中展示されている。博多っ子からは「お櫛田さん」の愛称で親しまれている博多の総鎮守だそうだ。

  26日山笠.JPG  山笠.JPG

    櫛田神社     山笠

 翌27日は今回の目的の第一、大隈侯生家・記念館訪問である。

博多から特急で40分で佐賀着、ここからタクシーに分乗して10分。大隈侯生家は佐賀城下の武家屋敷として、約250年前に建てられた。昭和40年には国の史跡に指定され、平成28年には大改修を行ったとのことである。丁寧な説明をしてくれたのは、学芸員の大坪さん。

建物全体の床が低く、床下に忍びの者がもぐりこめない構造となっていること、武士の話し合いが外に漏れにくいよう、居間が建物の奥にあること、座敷の長押に槍や刀の隠し場所があることなど、武家屋敷ならではの作りが処々に見られる。

2階の勉強部屋は建物強度の理由で非公開だが、侯が6歳で藩校に入学した際、母が増築したとのことであった。

 27日記念館全景.JPG 27日大隈侯生家説明風景.JPG 大隈侯生家全景.JPG 大隈侯生家座敷.JPG 

  大隈侯邸・記念館全景  説明は学芸員大坪さん     大隈侯生家         邸内       

  

 27日大隈侯生家内.JPG

    邸内 

記念館は、同じ敷地に侯の生誕125周年を記念して、昭和42年に建てられた。現在は国の登録有形文化財に指定されている。

この建物は、侯のからだと精神・風格と香気を表現したものという。窓下のくぼんだ部分は、侯の両目、庇は鼻、建物入口は口だそうだ。さらにその上部は侯が愛用したえび茶のガウンを模したステンドグラス。角帽を表した菱形部分もある。

内部は1階が常設展で、侯が使用した義足や、演説レコードなど大隈侯に関する資料が展示され、2階は企画展室となっている。

今回の参加者は早稲田を卒業以来4050年。ここを初めて訪れた会員も多い。こうしてじっくりと大隈侯の足跡、偉業にあらためて触れると、早稲田に学んだことの誇りや、喜びを感じてくる。

 27日記念館.JPG 27日記念館内説明風景.JPG 記念館1階展示品を見る.JPG 記念館2階展示品.JPG

   記念館          記念館内        1階展示室        2階展示室

 27日大隈侯銅像前集合写真.JPG 

   大隈侯像前

午後は再度博多に戻り、「西郷隆盛隠れ家跡」訪問である。安政の大獄後、幕府から追われる身となった西郷隆盛、月照であったが、薩摩に向かう際、西郷は当地の志士の一人で醤油商を営む白木太七宅に、月照は隣家に匿われたという。太七は前記白木大五郎さんの先祖とのことである。

現在当地にはそれを示す石碑があるのみだが、この近くに白木さんは醤油店と事務所を持ち、ここでわたしたちは当時の様子をつぶさに伺った。

 白木家醤油店白木さん.JPG 27日白木氏事務所内.JPG 27日西郷隠れ家碑前集合写真.JPG

   福万醤油店内    白木さんから説明を受ける   西郷隠れ家碑前で

のち、筑前勤皇党首魁月形洗蔵、黒田長政公夫人の墓のある「少林寺」、そして白木太七の墓のある「安国寺」へと回った。安国寺は黒田公菩提寺。山門、大鐘が見事である。ここでは普段非公開の釈迦如来像・十大弟子像を拝することができた。  

 少林寺黒田長政公夫人の墓.JPG 27日安国寺集合写真.JPG

 少林寺黒田長政公婦人墓  安国寺本堂内で

夕刻、福岡稲門会と懇親会を持った。参加者は当会から18名、福岡稲門会からは山本副会長をはじめ8名である。会場は、博多で唯一残る造り酒屋の「百年蔵酒蔵」。オープニングは筑前琵琶奏者の寺田蝶美さんの弾き語り、令和の典拠となった万葉集梅花の歌である。豊富な種類の酒と地元の料理を味わいつつ、全員が一言あいさつをした。

校友同士ゆえであろう、初対面とは思えない打ち解けた懇親会であった。

 オープニング琵琶.JPG 懇親会琵琶奏者.JPG 懇親会田村さんたち.JPG 懇親会志村さん・副会長.JPG 

  琵琶奏者寺田さん   福岡稲門会山本副会長と         懇親会風景

 懇親会全景.JPG 懇親会山田さん.JPG 懇親会落合さん.JPG 懇親会校歌.JPG  

              懇親会風景                  仕上げの「都の西北」

 懇親会集合写真.JPG 

 会場「博多百年蔵」前で  

  

3日目、手配されたマイクロバスでホテルを出発し、まずは令和ゆかりの「坂本八幡神社」。このあたりに太宰府の長官として赴任した大伴旅人の屋敷があったとされ、旅人が当地の役人を招き「梅花の宴」を催したと伝わる。このとき読まれた歌32首が万葉集にあり、その序文に「令」と「和」が織り込まれている。新元号の典拠となったことから、昨今当神社が一躍全国的に有名になり相当の人出が予想されたが、わたしたちは、朝一番で行き、混雑は避けられた。

坂本八幡をあとに、観世音寺の戒壇院を見た。天下三戒壇のうちの一つである。戒壇院は他に東大寺にあり、これは一昨年訪れた。下野にもあったとのことだが、今はない。 

 28日坂本八幡宮集合写真.JPG 戒壇院の鑑真供養塔.JPG

 令和ゆかりの坂本神社  戒壇院の鑑真供養塔

太宰府天満宮では公式参拝である。権宮司の森さんと、早稲田校友女官の権禰宜高山さんにご丁寧な境内ご案内と茶菓のおもてなしをいただいた。太宰府天満宮は全国1万2千社の天満宮の総本社。女官に加えて、総本社のナンバー2からこのように遇していただけたことは、たいへんありがたいことであった。

 28日太宰府天満宮本殿.JPG 28日太宰府天満宮境内説明.JPG 28日太宰府天満宮参拝.JPG 28日太宰府天満宮集合写真.JPG

  太宰府天満宮     権宮司から説明を受ける     公式参拝        権宮司と共に

昼食は、市内の食事処。ここへは楠田・太宰府市長が公務の合間を縫ってご挨拶に見えた。白木さんとのご縁で実現したことである。

東大法卒。銀行員から、衆議院議員を経て太宰府市長。44歳の独身、気さくな感じがする方であった。

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               太宰府市長楠田大蔵さんと

午後、太宰府政庁跡、太宰府展示館を見学した。

政庁跡は、7世紀後半から九州全体を治める役所があったところ。広大な平地に礎石が残る。展示館には政庁跡の発掘調査時の地層が見られ、大伴旅人主催の梅花の宴のもようが博多人形で再現されている。

 28日太宰府政庁跡説明風景.JPG DSC_6757.JPG DSC_6752.JPG 28日太宰府政庁跡集合写真.JPG

         大宰府政庁跡             「梅花の宴」人形       政庁跡で

大宰府政庁跡をもって今回の旅も終わりである。

参加者全員事故もなく、忙しくはあったが、中身の濃いものであった。

兵藤さん白木さんのご尽力にはもとより、現地の薩摩大使國分さん、マイクロバス運転樋口さん、大隈重信記念館学芸員大坪さん、太宰府天満宮権宮司森さん、権禰宜高山さん、福岡稲門会副会長山本さんほか会員の皆さん、太宰府市長楠田さん、そのほか多くの皆さんにあらためて感謝申し上げたい。

                       (文:小林敏二、写真:稲田明子・小林敏二)

 参加者(五十音順)

   相原州雄 相原俊子 浅川智仁 稲田明子 大久保真由美 落合理史 春日桂太郎 

 小林敏二 坂本昭雄 志村 隆 志村雅子 白木大五郎 田村昌恵 樽味美砂子 

 千葉文子 兵藤芳朗 山田章博 横松宗治