大型バスを仕立て、総勢47名で三浦・和田氏の史蹟を探訪
鎌倉から三浦半島にかけては、両氏縁の史蹟が数多く点在しています。今回は、横須賀市内の近いエリアにある史蹟に絞り、大型バスを仕立てて、総勢47名で巡ってきました。
9時過ぎに鎌倉を出発し、約30分で、三浦氏の本拠だった衣笠城址に近い最初の訪問先、横須賀市大矢部の「満昌寺」に到着。「満昌寺」は源頼朝が三浦大介義明供養のために建立した臨済宗建長寺派のお寺です。挨拶なさったご住職からバトンタッチして説明とご案内をして下さった副住職は、早稲田大学出身で横須賀稲門会の会員とのこと。建長寺で5年間修行した間は、鎌倉をくまなく托鉢して歩いたそうで、皆様も出会っているかもしれません。
約50分、拝観と見学をし、徒歩で、三浦義澄の嫡男、平六義村を祀った「近殿(ちかた)神社」、さらに、和田義盛が父と叔父の供養のために創建し、現在は廃寺となっている「薬王寺跡」を巡り、著名な鰻屋の「うな萩」でランチを堪能しました。
食後は、「腹切松公園」へ。物騒な公園の名は、三浦氏が立てこもる衣笠城が平家の攻撃を受けた際、全員を撤退させて最後まで城守った後、隙をついて脱出した三浦義明が、運命を悟って松の根方で切腹したことに由来するもの。現在は、宅地造成に伴い、場所をずらして松を植え直し、公園になっています。さらに、三浦為継が開き、同氏の菩提寺なっている「清雲寺」(臨済宗円覚寺派)を拝観した後バスに乗車。約30分の芦名にある、金剛山勝長寿院大御堂「浄楽寺」へ向かいました。
「浄楽寺」は、和田義盛の発願により建立された寺で、義盛夫妻発願で製作された、運慶作の不動明王立像など5体が安置されています。本堂でお話しを伺った後、予約でしか拝観できない運慶仏を拝観することもできました。また、芦名は近代郵政制度の創始者であり、早稲田大学創立にも関わった、前島密夫妻が没した地で、浄楽寺には墓所があります。私達早稲田大学で学んだ者にとっての恩人である、前島密翁のお墓にお参りすることもできました。
この日は、朝から雨の予報でしたが、移動中、ほとんど雨が降ることもなく、無事、15時過ぎには鎌倉に到着しました。
(文:大久保真由美、写真:小林敏二)
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